
こんにちは、Niicanです。
先日、親戚に不幸があり、お葬式に行ってきました。
今までお世話になった故人に感謝し、ご冥福をお祈りし、別れを告げました。
あらゆるもの・社会の仕組みが変化するこの激動の時代。
何も変わらない「お葬式」に参加して、色々考えさせられる事がありました。
感じたことをいくつかまとめました。
Contents
お葬式って?
葬儀(そうぎ、英: funeral)あるいは葬式(そうしき)とは、人の死を弔うために行われる祭儀、葬制の一部である。
概説[編集]
葬儀の様式にはそれを行う人たちの死生観、宗教観が深く反映される。その意味で葬儀は、宗教が文明に発生する以前の旧石器時代から行われてきていた宗教的行為であるといえる。また、葬儀は故人のためだけでなく、残された人のために行われるという意味合いもあり、残された人々が人の死を心の中で受け止めるのを援助する儀式でもある。
(wikipediaより)
仏教におけるお葬式

昔は家族、親戚から、ならわし、迷信など、語り継がれて、いつの間にか知識を持っていたものでした。
そのため、多くの人が、ほとんど同じ価値観を口コミで、共有していました。
それは、学校で教わるものでもなく、本を読んで学ぶこともありませんでした。知りたいと思っても、図書館にあるカビ臭い本、とても読む気にはなれませんよね。
そのため、正確な一次情報に接することは、実はあまりなかったのです。
その代わりに、地方ごとに少しずつ違う、ローカルなルールがあったりしていました。
おばあちゃん、おじいちゃんの教えが正しい教えでした。
それが、高齢の方が敬われ、尊敬の対象になる理由でもありました。
インターネット時代に、お葬式に参加するということ
そして現代。
情報に瞬時にアクセスできます。
今日、改めて仏教について、インターネットを通じて学んでみることが可能です。
いままで理由もわからずに参加していたこと、難しい言葉の意味、すぐに分かるんです。
だったら、せっかく何時間も参列するんだから、勉強していったほうがいいですよね。
数珠って必要?どんな大きさ、色がいい?
付ける理由は?
など、すぐ、わかります。
マナーに関しても、googleですぐポイントがまとまってる。
これらを勉強することで、一つ一つの儀式を、先人にならって、自信を持って行える。
心から見送ってあげることができた気がします。
なぜ仏教を勉強しようと思ったか?
実は、草薙龍瞬先生の、下記の本を読んだからです。
この先生の本は、自分が行き詰まったときに、本を読み漁っていたときに出会った本で、今でも読み返します。
煩悩に気を取られるな!など、自分の仏教に関する考えがガラッと変わったんです。
ですので、仏教に感動していただけに、葬儀に参列して、なんだろうこの儀式オンリーな感じは、、と感じてしまったんです。
仏教について、知らないことばっかりでした、、
そうすると、以下に我々が死生観を直視していないかがわかりました。
- 自分の実家って、何派だったか?
- その宗派の教えは何か?他との違いは何か?その違いはなぜ、生まれたか?
- そのお経は、何を唱えているのか?
- お葬式の各行事は、何を目的にしているのか?
お葬式でスマホを見るのは不謹慎です。でも、故人の冥福を祈るには、しっかり知識を学んで、その意味を理解して参列するのが、正しいお葬式のありかたではないかと思いました。
どうしても我々は、周囲の親戚との付き合い、財産のことなどに、気を取られてしまいがちです。
しかし、それはきっと仏教の本筋とは違いますよね。
しっかり学べば、優先順位は自然に決まるはずです。
もちろん、うるさい親戚はいると思いますが、そういう古い親戚と話し合っても、わかり合うことはできません。
だったら、お葬式の意義、大事なこと、これからに活かせることを合理的に子供に説明し、人間が今も昔も変わらず営んできたこの「生きる」「死ぬ」ということを考えることが大事ではないでしょうか。
個人的には、仏教、ブッダの教えは、瞑想、マインドフルネスなど、最新の科学にもつながる、世界に誇る教えだと思います。「サピエンス全史」のハラリ先生の近著「21 lessons」でも最後にこれが出てきます!
自分が死んだら
最近では、「終活」という言葉をよく聞きますね。これ、なかなか難しいですよね。今回は、両親に、死んだら墓はどこに入るか、仏壇はどうするか、は話し合いました。でも、ここから更に発展して、
- 自宅でいつまで生活するか
- 施設に入所はしてよいか
- 介護はいつ申し込むか
- 両親どちらかがそうなったらどうするか
- 高齢になって食事が取れなかったときの胃瘻を作るか
など、ここまで考えないとだめだと思いますね。しかも、それは定期的にアップデートしないといけないと思います。
これらの事実に直面できるようになるためには、日本人はもっと生と死に向き合わねばならないと思います。
なんとなく葬儀に参列していた自分への反省から、わかったことですけれども。。(汗)
この時代、自分で何でも学ぶ気があれば学べるこの時代だからこそ、葬儀について真剣に向き合ってみた、というお話でした。
個人的には仏教というより、ブッダの教えが好きなので、これからもそこから色々、自分なりの死生観について学んでいきたいと思います。
この機会を与えてくれた、伯父さん、ありがとう!