みなさん、はじめまして。Niicanと申します。
私は、40歳の男性です。しがない中年のサラリーマンで人生を終えるところでした。
生い立ち
東北のとある田舎の出身で、小学校、中学校、高校、大学、全て地元の学校を卒業しました。
凝り性なところもあり、理系の大学院を出て、地元に就職しました。
現在は結婚13年目で、3児の父です。
まだ子育てでドタバタしてますが、妻の協力もあり、なんとかやってます。
まあわりかし、順風満帆な人生でした。
これが、遅咲きの原因とも思ってます。。
趣味
趣味は、釣り、キャンプ、スキーなどのアウトドア全般、料理などですね。
読書も好きです。あとは、ゲームですね。モンハンが好きです。
ブログを書くきっかけ

ブログを始めたきっかけは、
有り体に言えば、仕事での挫折がきっかけですね。
仕事をかれこれ15年以上やってきて、
多忙であるのは今に始まったことではありません。
休日出勤、徹夜で家に帰れないこともありました。
ミスでまわりに迷惑をかけたこともありました。
でも、やりがいもあり、納得し、その都度立ち直っていました。
でも16年がたった今。
自分の力ではどうにもならないことがあるんだと気付かされました。
原因もいろいろ考えましたが、誰が悪いとかじゃない。
社会って、みんな一生懸命頑張ってるけど、それでもどうにもならないってことがあるんだと。
一人ひとりは頑張っている。偉い人も、若手も、みんな。
でもうまく行かない。でも時代はどんどん変わってきている。
どうしようもない閉塞感が、じわじわと心のなかに巣食っていたのです。
こんな毎日が続いて、60歳まで働くのかと、想像するのが怖くなってきました。
仕事は嫌いじゃないです。やりがいだってあります。
給料にも全然不満はないです。周りの人もいい人。
でも、このままでいいのか。
何かが自分の人生には足りないと思うようになりました。
現在の仕事を続ける意味を、考えるようになりました。
ふとまわりを見渡すと、SNS全盛で、経済的自由、勤め人卒業、社畜、など、いろんな考え方があふれています。
本当に自分の人生はこれでいいのか。
偉くなるつもりはなくても、周りのだれかに自分の人生を決められてしまっていいのか。
そう考えたら、朝から晩まで、休日も時には返上して働いているのが、急に無意味に思えてきたんです。
あれ、俺って、洗脳されてたのか?
いや違う、俺は求められて、社会に貢献できていたはずだ!
自分の中の確固たる信念が、ゆらいで行くのを感じました。
それからは、哲学、自己啓発系、ビジネス書関係の本を読みあさるようになりました。
これまでは仕事に関わるスキルばかりに目が行って、見向きもしないような本ばかりでした。
大学生じゃないけど、はじめて、生きる意味を考えるようになったんです。
そうしたら、自分の中から、何かが湧き出てくるようになってきたんです。
自分はこれまで、自分の意見を言うことって、あまりありませんでした。
理系なので、論文を書いたりはしましたが。
どうしても訴えたいっていうことって、なかったんです。
どうせ誰かが言っているだろうと。
なんか熱いこと言ってるやついるな−、と冷めていました。
でもそれって、それまでの人生を無難に生きてこれたから、だったかもしれません。
10代、20代と、挫折するほどの悩みもなく、それなりになんとかやってこれたんです。
浮き沈みのない、無難な人生。
情熱的に発信する人を尊敬していましたが、それはその人の才能だと思っていました。
自分は、どうせ向いていないんだと。
学級会で、積極的に手を上げるような人が、発信してるんじゃないかと。
でも、違うってことがわかりました。
言いたくてしょうがないことがあれば、自ずと発信せずにはいられないってことだったんですね。
今の私はそうです。
私もようやく、自分の今までの人生について、意味を見いだせるような気がしてきたんです。
実は自分も言いたいこと、こんなにたくさんあったんだ。と。
そしてふと、思いました。
これって、俺だけじゃないはずだ、、、
この気持は、日に日にメラメラと音を上げて、心のなかで燃え盛っていったのです。
40代、僕らの世代
40代って、
学生の頃は、バブルの熱狂的な時代、死にものぐるいで大学受験をしたと思ったら、
卒業の個々は就職氷河期でした。
ようやく修行時代を終えて、人生の果実を手にできる世代に入ったと思ってました。
ところが。
IT化、インターネット時代の到来、そして働き方改革など、価値観がまるで変わってしまいました。
途中ではしごを降ろされたような感じ。
パワハラなんて言葉もない時代、パワハラを受けるだけ受けて。挙げ句、下にはパワハラを恐れる始末。
まあ、やられたら嫌なことは、下にはしないように、と戒めてはいましたが、なんて恵まれない世代なんだと、思った時もありました。
でも、今はそうは思いません。
昔ながらのシステムで、実直に育ててもらった自負はある。
そして、新しい時代に対応する気力も、まだ残っている。
それなら、どちらの生き方もできる我々だけのやりかたって、あるんじゃないかと。
自分は、時代の転換点のちょうど真っ只中にいる。こんな面白いことはない。
と、思うようになりました。
こういう人、きっと、私だけじゃないはず!
と、確信してます。
40代は、団塊世代とミレニアム世代に挟まれた、ハイブリッド世代。
我々の世代は、ハイブリッドなんだ。
忘れられた世代なんかじゃない。
だからこそ、できることがある。
持っている視点がある。
そして、自分の人生を切り開いていく、力がある。
この声は、きっと40代に届くと信じています。
「おとなの寺子屋」は、そんな40代の足跡を、皆さんにお届けいたします!!